小児科・内科 桑原医院

広島市安佐南区の小児科・内科 地域のホームドクター「桑原医院」

医院からのお知らせ

8.20広島八木災害報告(第92報)

2017.05.11
8.20広島八木災害報告(第92報)

 大型連休が続きました。8.20土砂災害の後、各地域に散らばっていた人たちが、土砂災害の復興の状況を見るために、集まってきていました。その為に、あちこちにある慰霊碑にはお花が飾られ、お参りの人が多く見かけられました。

 4月30日、私の父宏の50回忌をしました。父宏は、桑原医院の第5代目の医者です。八木の浄楽寺に生まれて、桑原家に養子に来ました。慶応大学の医学部を卒業して、大学からの派遣病院で働きました。当時の上海の病院にも行って、私自身もそこで生活したことがあります。昭和18年、戦争が激しくなり、八木に帰ってきました。第4代目の医師桑原繭作が亡くなった時でした。その後、村医として働きながら、当時の広島鉄道病院に軍属として務めていましたので、国外に出ることはありませんでしたが、昭和20年8月6日午前8時15分、通勤途中のJR横川駅のプラットホームで被爆をして、首にやけどをして2、3日後に帰宅しました。その後村の医者として、昭和41年の4月13日に亡くなる直前まで往診を続けて自転車に乗って患者さんのことを話していました。病気は膵臓癌でしたが、酒が好きで1日約20軒の患者さんの往診をしていました。その都度、お茶代わりに日本酒を1杯ずつ飲んで、次の患者さんの往診に行きました。そんな時代を楽しく過ごしたと思われます。

 5月8日、11時に〝けんた君″が亡くなりました。〝けんた″は、平成23年の1月15日に生まれて、まだ6歳4カ月でした。とても頭のいい、元気の良い茶系統のラブラドール犬でした。死因は悪性リンパ腫です。獣医さんに抗がん剤を処方していただいて、治療をしましたが、甲斐なく亡くなりました。けんたは、8.20災害の時は自宅の自分の小屋の中に土砂が流れ込んで20時間ぐらい、土砂の中に立ちすくんでいたのを発見されて救出されました。その後、診療所の庭で生活していましたが、2回ほど首輪を切って脱走しました。土砂災害の怖さが残っていたものと思われます。冥福を祈ります。

2017.05.11 12時
桑原医院 桑原正彦


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